日本リブラインは2014年に創業した会社です。 以来12年、クライアントワークを積み重ねてきました。 その12年目に、自社プロダクトの開発が始まりました。第13期中の提供開始を目指しています。 その判断に至るまでの道のりを、お話しさせてください。
エンジニアが、誇りをもってはたらける場所を
創業する前は、Web制作会社のエンジニアでした。 開発は、いつも工程のいちばん最後にあります。前の工程が遅れても、締切だけは動かない。 しわ寄せは、すべて開発に来ます。夜中まで机に向かい、休みらしい休みのない日が続いていました。
自分の腕が足りなかったせいもあります。ただ、それだけではないとも思いました。 エンジニアが誇りをもってはたらける場所を、自分の手でつくれないだろうか。
動機はもうひとつありました。自分という人間が、どこまで通用するのか。それを確かめたかった。 当社の会長が背中を押してくれ、腹が決まりました。
社名のこと
「リブライン」は、人生のレールを指しています。 これから向かう先を示す道標であり、ここまで歩いてきた軌跡でもある。 その一本が誰かの一本と交わったとき、ひとりでは届かなかったところへ行ける。 そういう会社でありたいと願って名づけました。
最初の仕事
最初にいただいた仕事は、「メールアドレスをつくりたい」というご相談でした。 レンタルサーバーを借り、ドメインを取り、メールを設定する。ただそれだけの、華々しいとは言えない船出でした。
創業して最初の一年、いちばんこたえたのは、人に任せられないことでした。 指示を出すのが下手で、気づけばすべてを自分で抱えている。 そこから抜け出すのに、何年もかかりました。
12年で、見えてきたこと
荒れたコードの向こうにいる人
ここ数年、前のベンダーが手を引いたあとを引き継ぐ仕事が増えました。 渡されたソースコードを開くと、たいてい荒れています。
それを見て「ひどい」とは思いません。 書いた人の迷いと焦りが、コードから伝わってくるからです。 どこで行き詰まったのか。何を諦めたのか。 それが読めると、お客さまにどう向き合うべきかも見えてきます。
技術の問題に見えて、その実、誰かがひとりで抱えきれなくなった結果だった。 そういう現場が、少なくありません。
うまくいかなかった仕事
あるポータルサイトの構築で、要件定義が固まらないまま見積もりを出しました。 納期に間に合わず、予算も尽き、途中で断念しました。 お客さまにも、動いてくれたメンバーにも、顔向けのできない終わり方でした。
いま、ヒアリングと要件定義に時間をかけるのは、あのときの反省があるからです。 何を作るかを決める前に、何を解くのかを決める。 そこを飛ばした仕事は、後で必ず崩れます。
忘れられない仕事
医療の現場で働く方々が、学び続けるための仕組みをつくったことがあります。 学びたいことではなく、学ぶべきことに気づける。そういう設計でした。
わたし自身、幼い頃に長く病院の世話になっています。 いつかそういう方々の役に立ちたい。その思いを、ずっと抱えていました。 それが仕事として巡ってきたときのことは、いまも覚えています。
自分の仕事も変わった
この12年で、わたし自身の仕事も変わりました。 コードを書く機会が少なくなり、お客さまとの折衝と経営に時間を使うようになった。意識して、そう変えてきました。
もうひとつ変わったのは、メンバーとの関係です。 友達のような感覚で始まった集まりが、いまは共に戦う相手だと思えるようになりました。
変わらないものもあります。お客さまからいただいて、いちばんうれしい言葉です。 創業のときも、いまも、「ありがとう」です。
なぜ今、自社プロダクトなのか
3〜4年前から、このままでいいのかと考えるようになりました。 クライアントワークは、納めるまで入金がありません。先に人が動き、後から回収する。 その構造が、次の一手を打つ余力を奪っていました。
何を作りたいという絵があったわけではありません。 ただ、このままでは生活をするためだけの会社になる。 その感覚だけが、消えませんでした。
及第点を、あっさり越えられた
転機はAIでした。 わたしはどちらかといえば古い考え方の人間で、AIには懐疑的でした。
どんなものかと、試しにコードを書かせてみました。衝撃でした。 手が速いほうではありませんが、コードを書くことは嫌いではありません。 悩みながら組み上げていく時間は、むしろ好きでした。 その自分の及第点を、あっさりと越えてきたのです。
ならば、と考えました。 自分がいちばん得意なのは、お客さまが本当にやりたいことを引き出すことです。 そこに力を注げば、これまで自分の手には余ったものまで形にできる。 まず、自分が担当するクライアントワークからAIを入れました。
時間ができました。その時間を、自社プロダクトに使うと決めました。 12年で溜めてきた開発のノウハウとアイデアを、いま全部注ぎ込んでいます。
現場を離れる迷い
迷いはなかったか。ありました。 お客さまに、逃げたと思われないだろうか。自分がいなくて、納期は守れるだろうか。 (現場の遅れは決まって後から知らされるものです。)決心がつくまでに、時間がかかりました。
それでも離れると決めたのは、現場を委ねられるメンバーに出会えたからです。 クライアントワークは現場で完結する体制へ移し、わたしは次の柱をつくることに集中します。
これから、どんな会社にしたいか
5年後の景色を、ひとつだけ挙げるならこうです。 いま開発しているプロダクトが、世界で認められている。そして、 わたしではないメンバーが旗を振る次のプロダクトが、すでに動いている。 そうなっていれば、うまくいったと言えます。
ルールブックをつくった理由
給与制度を作り直しました。第13期から運用を始めます。 きっかけは単純です。誰が頑張ったのか、誰がそうでなかったのか。 それを全員の前で話そうとしたとき、そもそも評価の土台が揃っていないことに気づきました。
明文化されないまま、わたしひとりの判断に委ねられていたものを、 会社をみんなで回していくためのルールブックに変える。 そこから始めなければ、同じ温度で話ができません。
一緒にはたらきたい人
自分の人生に挑戦している人。あるいは、挑戦してきた人。そして、人に尽くせる人。 そういう方と、この先を一緒に歩きたいと思っています。
逆に、利己的な人、文句だけを言う人、成果ではなく在席時間で自分の仕事を捉える人とは、おそらく合いません。
同じ理由で、在席時間でしか評価されない場所に、メンバーを置きたくありません。 人出し(客先常駐)の仕事は受けない。これは創業から変えていない方針です。
国内外のメンバーと
いま、国内と海外にメンバーがいます。 最大の悩みは、言葉が十分に通じないことです。それだけに、メンバー同士の交流は深めていきたい。 仕事のやり方も、文化も、互いに学べるものがあるはずです。海外の仲間は、これからも増やしていきます。
はたらくシアワセ
わたしにとって仕事とは、人に尽くすことです。
誰かに言われて動くのではなく、自分から相手にはたらきかけ、仕える。 そのとき人は、生きている実感を得られる。 生かされていることの証だと、わたしは思っています。
それを「はたらくシアワセ」と呼んでいます。 この言葉を掲げたのは、わたしたちの会社を、まさにそれを体現できる場所にしたいと考えたからです。
26歳のとき、一度会社を興して畳んでいます。 いま思えば、社長になりたかっただけなのかもしれません。当然うまくいきませんでした。 それでもまた起業しました。 13期目に入るいま、夢を目標に変えられました。だからわたしは、挑戦します。
日本リブライン株式会社
代表取締役 山添 昌平
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